
大和ミュージアムは正式名称を『呉市海事歴史科学館』といい、平成17年4月23日に開館しました。同年11月5日には、開館当初の目標だった年間入場者数40万人をはるかに越え、入場者数100万人を突破しました。
館内には、十分の一 戦艦大和の展示、大型資料展示室には零式艦上戦闘機、人間魚雷「回天」、特殊潜行艇「海龍」などが展示されています。また、明治から昭和の間に呉市に起こった出来事を細かく説明した、パネル展示や戦艦、空母などの模型展示が数多くあり、じっくり見ているとすぐに時間が過ぎて行きます。

目玉の展示物は、『十分の一 戦艦大和』です。この模型は、実際の図面や元乗組員の証言、水中探索の際に撮られたビデオを元に、細部までかなり精密に作られています。
その精密性は模型の域を超え、主砲の溝(ライフル)を忠実に再現したり、本来なら動く必要がない滑車を動くようにしたり、手すりや空中線も図面に従って精巧に作られています。
戦艦大和の顔でもある艦首のバルバス・バウ(球状艦首)や山本造船株式会社の大下棟梁らが、一枚一枚張り合わせた木甲板もとても綺麗に仕上がっていました。
この『十分の一戦艦大和』の建造費は約2億円だったそうです。ちなみに、本物の戦艦大和の建造費は今の金額で約2600億円にも及んだと言われています。
艦尾にある4個のスクリューです。スクリューは砲金製でできており、左右のスクリューは全て外回りに回るようになっており、4個のスクリューは同じものではありません。本物の図面より木型から一つひとつ作られた正真正銘の『本物』です。

これは46センチ九一式徹甲弾です。
帝国海軍の秘密兵器で敵艦の手前で海中に落下した場合でも魚雷のように海中を直進し、敵艦に当たるようにできています。重さは約1トンです。
これは、大型資料展示室にある零式艦上戦闘機62型、通称ゼロ戦と言われているものです。
この零式艦上戦闘機は、1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された日の夕刻、明治基地の第210海軍航空隊所属、吾妻常雄海軍中尉が操縦飛行中、エンジントラブルにより琵琶湖に不時着水し、1978年1月に引き上げられたものです。
その後、吾妻氏ご本人の協力得て機体修復が行われました。
もともとは、京都府の嵐山美術館にあったものが、和歌山県零パークに移転し、さらに呉市海事博物館に移転されたものです。なお、コクピットも見ることが出来ます。
その他の展示物も、今後少しずつ増やしていく予定です。